「自己責任論」の起源

歴女といえるほどではないのですが、歴史の話が好きな私。

学生時代から、社会の成績だけはソコソコ良かったです。
(けど、もし学生時代の自分にアドバイス出来るなら、
『夢がないなら英語と数学を頑張れ。それが一番アナタの可能性を広げる』と言いたい)


特に興味があって良く読むのは、幕末~昭和初期(世界大戦前)の話。

幕末は、数多ある新撰組関係の漫画(『るろうに剣心』『銀魂』等)の影響で
小学生くらいの頃から親しみがあって。
高校時代から明治文豪が好きになったのと、今の出来事に繋がっているネタもあったりするので、明治時代のエピソードには関心が高く。

結果、幕末~昭和初期のあたりの知識が自然に増えていった感じです。


あと、一気に遡って平安時代も好きです。
王道ですが『源氏物語』とか『枕草子』が好き。
(これは中高時代の大好きな恩師の影響だと思う)
更級日記』も、(『源氏物語』への)ヲタな記述に共感したので、よく覚えてます。


そんな私が最近読了した本。
『生きづらい明治社会 ー不安と競争の時代』 著・松沢祐作

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岩波ジュニア新書なので、
おそらく学生向けなのですが、とても面白かったです。

「自己責任論」を切り口に、明治時代の人々がハマった「わな」による生きづらさを紐解いています。
すごく勉強になりました。
「自己責任論」の起源は、明治時代にあるのかもしれません。


タイトル買いをした本なのですが、その経緯を少し。


文豪の作品には、巻末生涯の年表が載っていて、
例えば、芥川龍之介の場合
「生後間もなく母親が発狂する」
って書いてあるんです。

本によっては、
芥川龍之介の姉が夭折したため」という解説がついていたりするのですが
インパクトありまくりな表現だったので、印象に残っていました。

あとは、金子みすゞさんの生涯とか。
明治時代の民法は、家父長制度が強すぎて多くの女性にとっての悲劇の要因だったのですが、金子みすゞさんもその一人。

こういう情報が積み重なって、
明るい文明開化の一方で
”明治時代の生きづらさ”みたいな暗くてどんよりしたものがあるイメージがありました。

ある時、「明治時代 生きづらい」と検索したら
まんまそのタイトルの本があったので、読んでみたワケです。



全七章。

第一章 突然景気が悪くなる  ー松方デフレと負債農民騒擾
第二章 その日暮らしの人びと ー都市下層社会
第三章 貧困者への冷たい視線 ー恤救規則
第四章 小さな政府と努力する人びと ー通俗道徳
第五章 競争する人びと ー立身出世
第六章 「家」に働かされる ー娼妓・女工・農家の女性
第七章 暴れる若い男性たち ー日露戦争後の都市民衆騒擾


明治時代と現在の社会問題は全く同じではありませんが
同じような事象や出来事に対して、
人間がとる対応や作られる思想・社会制度は
たいして変わらないんだな、と思いました。

だから「歴史は繰り返す」と言うのかもしれません。

 

個人的に、この本に感じた価値は「はじめに」で筆者の方が仰っている内容だな、と思います。

 私がこの本のなかでこれから述べることは、不安のなかを生きた明治時代のひとたちは、ある種の「わな」にはまってしまったということです。
人は不安だとついついやたらとがんばってしまったります。
みんなが不安だとみんながやたらとがんばりだすので、取り残されるんじゃなかいかと不安になり、ますますがんばってしまったりします。
これは実は「わな」です。なぜなら、世の中は努力すればかならず報われるようにはできていないからです。

 明治時代と現代のあいだには100年以上の隔たりがあり、単純に比べることはできません。しかし、考える手がかりとして、明治時代と現代の似ている点をみつけることはできます。

 

「わな」。
私もハマっていたことがあったな、と思います。
今でもたまにハマりそうになります。

「わな」にハマっていると自覚できたことが、抜け出せるきっかけだったのかな、と思います。

ではでは。